神戸ムスリムモスク公式HPにようこそ 当モスクは1935年に建てられた、日本最古のモスクです。

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HAJJ(大巡礼)のご案内
2017/02/13   >>お知らせ

2017年のHAJJ(大巡礼)に向けて、Mian International社のパンフレットを用意しています。当モスク内受付にて配布していますが、ホームページからもPDF版をダウンロードできます。遠方の方は下記のPDF版もご利用下さい。

   >> 2017年HAJJ(大巡礼)パンフレットダウンロード


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 神戸においてモスク建立の必要性が認識されたのは、第一次世界大戦中・戦後に神戸に移住するイスラーム教徒が増加し、計画の具体化は、1928年(昭和3年)来日したインド人貿易商が資金集めに着手した。1925年(大正14年)に来日したエジプト領事も計画に一時的に推進力を与えたが、途中帰国により、エジプト政府の資金導入は出来なかった。
 恐慌による経済不況とエジプト人領事の帰国で、困難に直面した神戸モスク建立事業は、インド人商人たちのお陰で息を吹き返した。

 フェローズッディン (Ferozuddin) は資金総額(12万円弱)の半分以上を一人で負担し、ボンベイ(ムンバイ)に本社があるアフメド・アブドゥル・カリム兄弟社が次点の大口出資者となった。また、神戸トルコ・タタール協会も寄付した。当時、決して裕福ではなかったタタール人が生活費を削って寄付金を集めた。海外で資金集めをした S.A.アハメド (S.A.Ahmad) は、インド、英国の海峡植民地にも赴いたが来日した後病死し、モスクの完成をみることはなかった。
 神戸では、大口出資者のインド人の例外として、在朝鮮タタール人、在神エジプト領事、シリア商人、エジプト領事館員。
 1934年(昭和9年)11月14日にモスク建設認可が下り、竹中工務店と契約、鉄筋コンクリート造のモスク本体は、地上三階、地下一階で、設計はチェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガーによる「スワガー建築事務所」。当時、イスラーム教は新宗教と同じく、行政上「宗教」の扱いを受けない「類似宗教」と見なされ、法人格は認められなかったが特に問題にはならなかった。

 1934年(昭和9年)11月30日に定礎式が行われた。トルコ・タタール人、インド人340名が参集した記録があるが、他の都市の参加者も含めた数字と思われる。在日アフガニスタン国公使、在神エジプト領事、在神英国副領事、日本人トルコ学者等が出席。インド人、タタール人の演説は非政治的なものだったと記録がある。日本初のモスク定礎式が行われた事実は海外でも知られることとなった。
 1935年(昭和10年)7月末に神戸モスクは竣工し、7月24日にモスク使用許可が与えられ、8月2日金曜日に、献堂式が行われた。 インド、ロシア、ドイツ、満州、中国、トルキスタン、ジャワ、日本、エジプト、アフガニスタン出身のイスラーム教徒男女が参集し、モスク委員長のインド人がモスク建立の経緯を語った後、フェローズッディンがモスクの開扉を依頼され、彼はこの日の為に特別に用意された銀の鍵で扉を開け、「日出づる国」初の「イスラーム寺院の開院」を宣言した。これに続いて、会衆が「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と唱えながらモスクへ入り、フェローズッディンによってミナレットの上から、アザーンが行われた後、モスクで初めての金曜礼拝が行われた。

出展
1.福田義昭「神戸モスク建立 −昭和戦前期の在神ムスリムによる日本初のモスク建立事業」アジア文化研究所研究年報(東邦大学アジア文化研究所)45号 2011年
2.WIKIPEDIA 神戸モスク